スマホを触っていると、誤操作でインカメが起動し、下からのアングルの気を抜いた不細工な顔が突然映し出された。
僕ってこんなに不細工だったっけ?と少しショックを受け、洗面所の鏡をみるといつもの自分の顔が映っていて少しほっとした。
写真の自分、動画の自分、鏡の自分。どの自分の顔も全然違う人間に見える。
写真では面長だし、動画では顔の余白が多いし、鏡だとちょっと目が大きく見えるかな。
どの自分が本当の顔なんだと悩んだ時期もあった。
しかし、どれが他人から見えている本当の自分の顔なのか、誰かに乗り移ったりしない限り一生わからない訳だし、考えるだけ時間がもったいないという結論に至った。
結局、自分の顔なんて自分の目を通して見ることはできないのだから、一番イケて見える自分の顔を愛そうと決めた。
僕の場合は家の洗面所の鏡に映る自分の顔が一番イケて見える。
美容室の鏡だと肌が汚いし、試着室の鏡だと顔がデカく見える。
だから、洗面所の鏡に映る自分の顔を本当の姿であると決めた。
洗面所の鏡に映る自分が一番イケてると思っても、それは自分の中のベストなだけであって、自分の顔に不満はある。
昔はもっと目が大きかったらとか、唇がふっくらしていたらなんて考えていたけれど、最近は、鏡で見た自分をさらに脳内補完して自分の顔を完成させてしまった。
わざわざ、現実の顔を自分に突きつけて自信をなくす必要なんてないもんね。
そう考えると、最近の加工アプリは自分に自信をつけるにはいいツールだと思う。
ネットでは簡単に人の容姿について暴言を書く人がたくさんいる。
自分の美的感覚に合わないからと言って人を中傷する行為はなんとも許しがたいものだと思う。
美容整形については、肯定も否定もしない。
自分の顔なんだから自分の好きなように扱うべきだと思う。
美容整形で苦しみから開放されるのなら、いいことじゃんって思うし。
美容整形の反対意見に「親からもらった顔を変えるなんてダメだ」というものがあるが、それだけは絶対に賛同できない。
子供は親の所有物ではないし、体も顔も本人のものなのだ。
いろいろ話がそれちゃったけど、要は
どうせ自分の顔なんてどれが本当の顔かわからないんだから、一番ベストな自分の顔を愛そうぜってこと。
それが、加工アプリでもいいし、鏡でもいいし、プロのカメラマンにとってもらった写真でもいいし。
誰かが自分のことをブサイクといったとしても、「美的感覚が合わないんですね。」と言って影響を受けることなく生きていきたい。